なろう小説から溢れる甘い蜜を求める虫。
一年振りのくらいの更新です。どうも、孤独の人です。
長らくお待たせしました。って待ってる奴なんかいないか(笑)ウケる(爆笑)
まぁ実際現実では真顔なんですが。
最近私の人生、なんだかちょっぴり絶望的。
災難に次ぐ災難。肉体と精神の摩耗。常に感じる孤独と不安。
人間はあまりに不幸が続くと絶望し、さらに絶望を通り越して無感情になっていくのだと、他人事のように感じる毎日を送っている。
何処にいても、何をしても、何を買っても、何を食っても、何も無い。何も感じない。全てがどうでもいい。
全てに対しても無関心。ただ時間だけが過ぎて行く、無味無臭な人生。
最近、死ぬ事ばかり考えている。もしくは、生まれ変わりたい。
全てやり直して、また始めからスタートしたい。比喩でも何でもなく。
けど何も変わらない。そんな毎日。
そんな時に便利なのがコレッ!!
なろう小説ッッッ!!!!!
さてここから本題。タイトルにもある通り、今回はなろう小説についてのお話。
知らない人の為に説明するが(そもそも誰も見ていないだろうが)、なろう小説というのは
【小説家になろう】という執筆サイトから投稿させる小説全般を指す言葉である。
最近では異世界転移モノや異世界転生モノなんかを一括りになろう小説と呼ぶ者もいるが、他小説サイトにもない事はないので、必ずしも異世界転生モノ=なろう小説ではないので悪しからず。
まぁぶっちゃけなろう小説など殆ど異世界モノ人気しかないと言って良い程偏っているので、そう勘違いされても仕方がないのだ。
私も例に漏れず異世界モノが大好物。自分でも書いちゃう程度には大好き。
正直、異世界転生やら異世界転移やらが流行っているのも分かる。あれはもはや小説の形を成していない。小説の名を借りた精神安定剤のようなものだ。
周りに絶望し、今に絶望し、自分に絶望し、もうどうしようもなく惨めで、それでいてそんな現状を打破するでもなく、ただひたすら怠慢に生きて、無駄に命を浪費して、受動的で、生産性のない人生。それを認めたくない、或いは直視したくない者にとって、あれは甘く危険なドラッグに近い。
勿論そんな事はなく、単純に好きで読んでる人もいるだろう。
しかし、大半の読者は蜜を求めてフラフラと飛ぶ虫の如く、ただひたすらに貪るだけ。
都合の良いキャラ。都合の良い設定。都合の良い物語。
自分の浅くて安い欲求を満たすのに、あれ以上に都合の良いコンテンツは無いのだ。
かく言う自分もその一人であり、そしてなろう小説を書いていた身だからこそ分かる。今は放置しているが、しばらくしたらまた書こうと思う。
今構想中の小説がある。誰かに読んでもらいというよりかは、自分の精神安定剤を投与する為のオナニー小説だ。故に内容は此処では書かない。
そして、それに合わせてこのだーれも観てないであろうブログも再開する。もう誰かに発信するとか、誰かの心を揺さぶるとか、そんな崇高な目的などない。
ただ、書く。感情も感性も失ってしまった自分に投与する、これもまた精神安定剤の役割を果たすだろうから。
どうせ、誰も見ていないのだ。
なら、好きにして良いのじゃないか。
ここに書く文字達だけが、今の俺に許された自由だ。
そんな自分勝手が許させるこの甘美さと虚しさに、もうしばらく浸かっていたい。
収益化させろッッッ!!!!!
ボッチの休日。
どうも、孤独の人です。
さて、今日はボッチの休日の過ごし方について語っていきたいと思う。
ボッチの休日。それは底辺にして至高、全てから解き放たれた甘美の時間である。
現在一人暮らしのボッチだが、今日は俺の休日の基本スケジュールを解説していこうと思う。
〜ボッチ俺の休日スケジュール〜
7:00 就寝。
15:00 起床。それから30分ほどベッドでゴロゴロとスマホをいじる。
16:00 飯を食べながらYouTube。
16:30 パソコンでネットかゲーム、もしくはYouTube。
19:00 仮眠。
23:00 起床。酒を飲みながらパソコンでネットかゲーム、もしくはYouTube。
5:00 就寝。
13:00 起床。朝飯。
13:30 パソコンでネットかゲーム。もしくはYouTube
14:00 シャワー(2日に一回ほど)。
以下ループ、もしくは朝〜夕方仕事。
アカンわ、これ。これはアカンですわ。
改めて見ると、ネットかゲームかYouTubeしかやってない。
しかし、こんな生活が一番楽。楽しいかと言われれば疑問だが、少なくとも楽。
だが楽しい人生と楽な人生。必ずしも=ではない。
俺は楽な人生を送りたかったのか?
それとも楽しい人生を送りたかったのか?
理想は楽して楽しい、充実した人生。
それは同志との語らいの空間だったり、自由気ままな創作だったり、生活をちょっぴり彩る贅沢な買い物だったり、大切な誰かと寄り添う時間だったり、まぁ、色々である。
しかし、そんなもん一体どこにあるというのか。
それこそ宝クジでも当たらない限り、そして俺自身に才能と魅力がない限り、何より努力して這い上がってでも自らの幸せを掴もうと足掻く気力がない限り、そんな未来はやってこない。
俺は楽な人生を送りたかったのか?
それとも楽しい人生を送りたかったのか?
この世の中に、俺と同じように考えている者は沢山いるはずだ。
そう、例えば今これを読んでいる君とかね。
君は楽な人生を送りたいのか?
それとも楽しい人生を送りたいのか?
その答えが知りたい者は、今すぐ下のリンクにある私の著書『気づきの時間〜1秒で幸せを掴む法則〜』を買って読んでみるべし。
私の孤独、挫折、這い上がり…
『失敗学』『幸福否定論』『現実にする為に理想を語れ』などなど、私が人生で学んだ、人生を豊かにする為の様々な気づきを一冊にまとめた物だ。
今なら特典として私の直筆サイン入りポストカードと、10万字におよぶロングインタビューを書き下ろした冊子も同封しています。
全ての瞬間に訪れる気づきにこそ、幸せへの答えがある。
人間は、1秒あれば幸せになれる。
ただ、それに気づくだけ。
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そんな本あるわけねーだろバーカ(╹◡╹)
クソして寝ろ(╹◡╹)お休み(╹◡╹)ノシ
一匹狼少年の妄想。
どうも、孤独の人です。
「一匹狼少年」
青春時代の自分を表す言葉があるなら、これしかないだろう。
周りと群れる事のない一匹狼。
周りにも自分にも嘘をつく狼少年。
なんとも寂しく、虚しい性格。さらに質の悪い事に、そんな自分に酔い、周りの人間を見下しながら悦に浸る癖がある所だ。
物心ついてすぐ、自分は変わった人間だという事は何となく自覚していた。周りに比べて劣っているとも感じた。
運動神経はなく、頭も悪く、異性にもモテない。不思議な事にお笑いが好きでその方面では多少才能があるのか、人を笑わせる事が好きだし、得意であった。少なくとも中学までは。前述した内容の手前説得力はないが、当時はまだ明るく純粋で、どちらかと言えばクラスのお調子者、笑いの取れる人気者という立ち位置だった(これに関しては誓って嘘ではない)。勿論その当時からどうしようもない孤独感はあった。年を重ねる毎に、ソイツはどんどん俺の心の奥深くまで根付いていった。
それを忘れる為に人を笑わせた。その瞬間だけは純粋に人と繋がっているような気がして。その快感が忘れられなくて。それが自分にとって幸なのか不幸なのかは分からないが、才能があると何かを勘違いし、芸人を目指して独りで上京までした自分の行動力は褒めたい。
最も、その勘違いからは未だ覚める気配がないのだが。
その当時に比べ、今の自分は周りに比べれば思考が幼く純粋に見られがちだが、汚れて歪んでしまっている部分がかなり強くなった。だがそんな今でも昔から何一つ変わる事なく心の中に住み続ける想いがある。
それは主人公になること。人生において。全てにおいて。
具体的に言うと、人気者になりたい。才能が認められ、褒められたい。成功したい。幸福になりたい。
さらに具体的に言うと、芸人の道を閉ざした今でもお笑いを諦めきれない自分がいる。お笑い芸人じゃなくても良い。そっちの方面で成功し、名を上げたい。有名になり、俺のお笑い、俺のコントなどの作品が評価されたい。
俺を題材とした映画を作りたい。もしくは作られたい。もしくは特撮映画が撮りたい。勿論俺がヒーローで、しょうもない理由で悪をボッコボコにして悦に浸り、気に入らない奴もボッコボコにして財布から有り金全部とカードや身分証を奪って唾を吐き履けるクソ外道なヒーローなんて最高だ。
小説も書きたい。ラノベも好きで(とりわけハイファンタジー、異世界転移・転生モノ)、夢の世界を題材にした長編大作を構想しているのだが、絶対に面白い自信があり、売った翌日に一生遊べるだけの印税が玄関に届けられるレベルだと自負している。どうやら俺の怠け癖が筆を持つ事を許してくれないみたいなので、完成どころかまだ執筆もしてないのだが。
あと女を抱きたい。26歳、童貞である。性欲を持て余し、某SODに自作のAVの脚本を送りつけたこともある(悪い女をセックスで懲らしめるダークヒーローモノ )。勿論不採用だ。悲しいね。
だがそんな事はどうでもいい。セックスである。したいのである。したいのでありまーす!
風俗に行けばいいだろと思ったそこの貴方。違う、そうじゃない。そうじゃないんだ。
金を払ってやるのは、まぁプロの方に致してもらいたくないと言えば嘘になるが、俺が求めるセックスというのはもっと違法性の高いモノだ。
なんというか、まぁそれこそAVみたいなもんだが、透明人間モノや時間停止モノなんかがそれに近い。
ある意味純粋なエロがそこにある。なにせただヤりたいだけの為に透明になったり時間を操ったりするのだ。そんな凄い能力があるならもっと人の役に立つ事だって沢山出来るのに、エロに全力を注ぐ情熱というのが素晴らしい。
話を戻そう。女とヤりたい。女体を貪りたい。
そして女体の海で泳ぎたい。平泳ぎで。
なぜ平泳ぎなのかと言うと、女体の海を泳ぐ場合、これが最も理に適っているからである。
泳ぎ方はクロール、バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎの4種類が主流で、これらを4泳法と呼ぶ。
仮に25m×11m、水深1m以上のプールに満遍なく女体を敷き詰めるとしよう(一応公認の25mプールの大きさです)。
そこで女体の海を泳ぐ場合、クロールは速く泳げる分体全体を激しく動かすので、無駄に女体を傷つけてしまうだけでなく、1人の女体を楽しむ平均的な時間が短過ぎてしまうのだ。これはいけない。
女体が視界に入らない背泳ぎについてはもはや論外なので語らない。
次にバタフライ。これは手の動きは問題ないがキックのやり方に難がある。というのも、バタフライの正しい泳ぎ方は一回の手の動きに対して二回のキックを挟むリズムなので、女体を無駄に傷つけてしまいがちなのだ。
そう考えると、消去法で平泳ぎに辿り着く。この泳ぎ方が女体の海を泳ぐ時、四つの中でもっと女体に優しく、かつ存分に楽しめる。但し、この泳ぎ方であっても当然キックの動きがある為、そこは多少気を使って優しめで動いてあげよう。
注意点として、女体の高さは50cm行かないくらいで良い。でないと下の女体が重さに耐えきれなかったり、窒息してしまう恐れがあるためだ。理想は床が見え隠れするかくらいが丁度良い。女体の顔もちゃんと上を向くか息が出来る状態に持っていくこと。
そして泳ぐスピードは遅め。速さを競う必要もないし、速さをあげて激しく動けば女体を傷つけてしまうからだ。ゆっくりじっくり、時間をかけて泳ぎながら女体を楽しむのがベスト。
随分長くなったが、そろそろここらでしようもない妄想の垂れ流しは辞めにしよう。ていうか虚しくなってきたので辞める。
大体何が女体の海だ。ねーよそんなもん!
ホントしょうもない人間、俺。
孤独な男の人生を振り返る。
どうも、孤独の人です。さあ、今日も誰も見ていないクソブログを書こうか。
今日は誰にも需要がない自身の半生について反省してみようと思う。別に駄洒落ではない。無駄に長い為、時間を浪費したい気分の方は是非ご覧下さい。
以下、我が半生のざっくり年表である。
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~幼少期編~
1992年1月。岡山にて産声を上げる。その泣き声はこの苦痛と混沌に満ちた世界に産み落とされた幼き魂の、絶望の鳴き声であった事だろう。
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1994年? 知らないババアに哺乳瓶で無理矢理ミルクを飲まされている記憶。これが俺が覚えている人生最古の記憶である。
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1996年。幼稚園に入園。まだこの物心つくかつかないかの年頃。純真無垢で何も知らない存在。しかし我儘で自己中など、人から嫌われる性格の片鱗は確かにあった。
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1997年。母親の母国フィリピンにて、開放的になり雨の中走り回る。翌日高熱。
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~小学生編~
1998年。小学校入学。入学早々上級生と何故か喧嘩して負ける。同級生と喧嘩して負けて泣く。その後女子と喧嘩して泣かしてしまい先生に叱られて泣く、という破天荒さを見せつける。
1998年夏頃。母親の母国フィリピンにて、またも開放的になり豪雨の中野外シャンプー。翌日高熱。
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1999年2月。バレンタインで初めて女子からチョコを貰い有頂天。しかしホライトデーの制度を知らなかった俺はチョコのお返しをせず女子からキレられる。この時チョコのお返しをする事を教えてくれなかった両親を若干恨む。
1999年クリスマス。当時欲しかったトランスフォーマービーストウォーズのゴリラのプラモデル(ロボット形態にも変形出来るやつ)をサンタさん(両親)に買ってもらい、ウッキウキで作って遊ぶ。家の中では飽き足らず公園に持って行って遊び、30分で破壊。むせび泣きながら帰宅。勿論両親から叱られる。
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2000年2月。昨年の出来事から俺だけ女子全員からチョコを貰えなくなる。この年に貰ったチョコは母親とお婆ちゃんと自分自身で買った3つのみ。この時ばかりはほろ苦いビターチョコが妙に染みた。
2000年中頃。遊戯王が大流行(もっと早い時期だったかもしれないが覚えてない)。当時最強と謳われたエグゾディアという5枚で1セットのカードを持っているとホラを吹き、後に嘘がバレて若干ハブられる。この頃から少しづつ周りから距離を置かれ、一人遊びの時間が増える。
2000年夏頃。母親の母国フィリピンにて、またも開放的になり友達と雨の中鬼ごっこ。翌日俺だけ高熱。
2000年クリスマス。当時欲しかった念願のゲームボーイカラーをサンタさん(両親)から買ってもらった。さらに一人で遊ぶ時間が増え、知らず知らずの間に孤立化が進んだ。
2000年。テレビで見た若手芸人のコントに強く惹かれ、お笑い芸人になる事を決意。人生で初めて強く意識した将来の夢である(ちなみにこの時【むきだしアバラボニーズ】というコンビ名を考える。一人なのに)。
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2001年2月頃。「武士とは死ぬことと見つけたり」という言葉に強く惹かれ、決死の寒中水泳。勿論翌日高熱。この辺りから、自分には学習能力がない事に気付く。
2001年2月。誰からもチョコを貰えない事で怒り狂った俺は、何故かバレンタインの日に女子全員にチョコを渡す奇行に走る。その結果、ホワイトデーに女子全員からお返しが来た。あまりに嬉しすぎて号泣。その時食べたチョコの味はほんのりしょっぱかった。
2001年夏頃。学校行事で田舎の山奥に行き自然と触れ合う。この時食べた魚の塩焼きの美味さは一生忘れない(後にこの時訪れた村が吸収合併により消滅した事を知る。悲しい)。
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2002年。今まで通った小学校が廃校。小学五年からの2年間は別の小学校に移る。そこで漫画家を目指す少年と出会い、心の友となる。この時から将来の夢がお笑い芸人から漫画家にシフト。なお、学校が変わった事で今までの同級生と疎遠になり始める。
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2003年。デンジャラスじーさんに影響されてデンジャラスじーさんみたいな漫画を描き、デンジャラスじーさんが好きなクラスメイトに読ませる。「デンジャラスじーさんみたいで面白い」と高評価。自分の作品が初めて他者に評価された瞬間である。一ヵ月後、自作漫画は飽きて捨てた。
2003年終わり頃。2年続いていたらしいイジメに初めて気が付く。そして翌年春に小学校卒業。
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~中学生編~
2004年。中学校入学。気持ちを新たに今まで遊んでいた友達を切り(切られ?)、新しい友達と遊び始める。この時親友だと一方的に思っていた友達D君と出会う。この一年は殆どD君と遊んでいた記憶しかない。そしてこの頃から漫画家志望の少年は不登校になり、疎遠になる。
2004年夏頃。初めてオナニーを覚える。この時から一日2~3回はシコシコしてた。最初のオカズはクラスメートの女子。まあ鉄板。
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2005年。些細な、本当に些細な出来事で親友(だと一方的に思っていた)D君と大喧嘩し、絶交してしまう。今考えれば、原因の8割くらいは自分自身にあると思う。ある意味で他者との友好関係をきちんと断ったのは、人生においてこの時だけである。
2005年。些細な出来事でクラスメートの男子から半孤立。これについても原因の半分は自分自身にある。この頃にはもう僅かな気心の知れた友人達とたまに遊ぶぐらいで、ほぼ一人遊びや一人で行動する事が増えた。主に家でゲームか、ゲームセンターで音ゲーをして過ごす日々。
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2006年。中学三年生になる。この時のクラスメートが色んな意味で奇跡的で、新たに親友だと思える人物に二人も出会う。秀才のA君、不良気味のK君、そしてボッチ気味の俺。この凸凹トリオで行動する事が増えた。この一年が人生で最も楽しかった記憶。
2006年中頃。修学旅行で沖縄に行く。この時の夜のコイバナで、そういや俺って恋愛全然してねーなと気付き、と同時に周りはどんどん彼氏彼女の仲になっていってる事に強い劣等感を抱く。
2006年9月。体育祭。オリジナルの振り付けでダンス披露。自分には踊りの才覚があると思った。リレーはまあまあ遅かった。この頃の俺はクラスメートから「面白くて変わった奴」という位置で、結構充実していた。
2006年10月。60ページほどの自作漫画が完成。クラスメートに半ば強制で読ませる。なかなか好評だった記憶。ちなみに久々に読み返してみたが、クッソくだらないギャグ漫画だったので燃やした。
2006年。文化祭。不良生徒の役を演じる。楽しかった。
2006年冬頃。とある出来事がきっかけで距離を置いていた凸凹トリオが少しづつ仲直りする。悲しいのはその出来事がなんなのか覚えていない事。まあ、多分なにかしら俺が悪い。反省。
そして楽しかった思い出を胸に中学校卒業。凸凹トリオの解散。
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~高校生編~
2007年春。高校入学。新たな環境&特殊なシステムの学校故になかなか友達が出来ず、それでもよく一緒にカラオケに行くT君との出会いでなんとかボッチにならずに済んだ。この高校生活により自分自身の性格が大きく歪み始める。
2007年夏。初恋に目覚める。しかし勇気がなく、ストーカー紛いの事をするという奇行に走る。若いって素晴らしい(皮肉)。
2007年夏。もう高校生活への憧れはなくなり、ほぼ家で一人で過ごすことが増えた。そして深夜の音楽番組でベンジーを知ってからロックやパンクに目覚め、バンドマンを夢見る。この頃から色んな音楽を聴き漁った。詩を書くようになったのもこの頃から。
2007年秋。文化祭で劇をやる。役者だった。劇の脚本も書いた(大きく書き替えられたが)。なんだかんだ人前で何かをする事が好きだった自分は、この一年で一番楽しい思い出だった。
2007年冬。幽霊部員だった文芸部を退部。
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2008年。高校二年。完全に根暗ボッチ化。趣味はゲームと作詩。このクラスメートで出会ったT君(カラオケ一緒に行ったT君とは別種)と音楽好きでギターの上手い留年ボーイのK君(不良気味のK君とは別種)のおかげで、少しだけ楽しい一年を過ごす。この頃から保健室を本拠地とする事が多くなった。ちなみにこの時のT君とは今でも交友関係のある貴重な存在。
2008年中頃。昼飯は近くの河川敷で一人飯が主流になる(昼飯時外出OKの学校だった)。静かな川のせせらぎを聞きながら食べる飯は風情があった。虚しさもあった。
2008年秋。文化祭。この年も役者。一番はっちゃけた。はっちゃけ過ぎて周りに引かれた。
2008年冬。我が青春のバイブルとも言える大槻ケンヂ氏の著書『グミ・チョコレート・パイン』に影響され、小説を書き始める。
↓
2009年。とある事件でもはや苦痛を通り越して無感情になっていった高校三年。唯一体育の授業だけが心の救いだった。この頃からもうバンドマンは諦めて、小説家になる事を目指していた。そしてこの頃から単位ギリギリまで休んでほとんど学校には行かず、家でずっと独りでゲームばかりやっていた。
2009年秋。文化祭。役者。中学生活と合わせると四年連続で劇の役者をやった。演技にはそこそこ自信があった。役者向いているとも思った。けど演劇部には入らなかった。めんどくさかった。
2009年冬。小説家も諦め、ネットで知り合った一つ年下の少年と共にお笑い芸人を目指す。翌年春に苦痛にまみれた高校生活を無事終了させる。結局初恋が実ることはなかった。
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~社会人バイト生活編~
2010年春。ブラック飲食店編が始まる。
2010年夏。ブラック飲食店編終了。特筆する事無し。やけくそになった俺はパンツ姿で踊り狂った動画をネットに投稿。反応が来たことが嬉しくて動画投稿にハマる。ボカロにもハマる。この頃から暗闇の人生に光が差す。
2010年秋。動画投稿がキッカケで知り合った人達と何故かダンスイベントで舞台に立つ。女装もさせられた。楽しかった。
2010年冬。ダンス動画で大規模な企画を実行に移す。それはクリスマス当日に全国同時多発的にリア充をこき下ろす動画を投稿するという、もう本当に身も蓋もない企画であったが、なんとか無事成功。色んな人と関わったり、協力して何かを作り上げるというとても貴重な体験ができた。
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2011年3月。東北にて大規模震災。ニュースがやっていたこの頃、俺はバイト先のトイレでオナニーをしていた。
2011年夏。お笑い芸人を目指すも、毎日金も貯めずに遊び呆ける。この頃、ダンサーにも興味を持ち始める。ちなみにlockやHouseといったストリートダンスをメインに踊っていた。
2011年秋。知り合いに連れられて初のセクキャバへ。そこで俺よりデカイ女に跨られ、知り合いに見られながらディープキスをした。これが人生初の女の子とのキスだった。ライムチューハイの味がした。
2011年冬。いい加減フラフラしてないで夢の為に頑張ろう、そう考えた俺はとあるキッカケで福島で瓦礫撤去作業の派遣仕事に赴く。理由はボランティアではなく金の為。現地で仕事内容が違った事に戸惑ったが(後から聞いたら経験者募集の土木作業だった)。人生で初めて長期的に実家を出た瞬間だった。
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2012年。福島から無事生還。懐も少しは潤ったがこの後何故か兵庫に行き、兄弟で住むようになり、調子に乗ってパソコンを新調した結果金がなくなり、バイト生活。しかしブラック過ぎて4ヵ月足らずで飛ぶ。岡山に戻り、だらだらバイト生活を始める。
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~社会人芸人生活編~
2013年夏。忘れもしない年。高校の同級生でHとしょうもないキッカケで交友を持つ。(確かHに初めて出来た彼女と初キスをした場所で俺が半裸のダンス動画を投稿したとか)Hは東京でお笑い芸人として活動していたが、ひょんなことから怖いおにいさん達にボコボコにされ、チン毛と髪の毛を燃やされ、泣きべそをかきながら岡山に戻ってきた所を芸人志望の俺と出会い、なんやかんやでコンビを結成した。
この時のコンビ名は【連合軍】だった。
2013年7月。岡山を拠点にフリーでの芸人活動開始、初の舞台でコントを披露する。なぜか広いボーリング場の中央レーンでネタをし、客は100mくらい横並びというシュールな光景。滑り倒したが、とても楽しかった。
↓
2014年。芸人をしながら朝と夜にバイトをしてなんとか金を溜め、ネットで知り合った人と東京へ行くつもりだったが、途中で置き引きに遭い、財布を無くす。あまりの出来事に過呼吸+パニックで号泣。幸い携帯はポケットに入れていたので、三宮、繁華街の駐車場で泣きながら兄に電話し、一緒にいた知り合いから金を借りて帰宅。涙ながらに食べたラーメンの味は一生忘れない(何ラーメンかは忘れた)。
2014年春。心機一転、岡山の地で相方のHと芸人活動再開。コンビ名を【座・平面図】に改名。営業を中心に(というかほぼ営業)舞台に出て、少しずつ笑いが取れるようになる。
2014年冬。大学の学園祭に一日で二校出演するという謎の過密スケジュールをこなし、座・平面図解散。お金を貯める為、再び福島の地にて出稼ぎに向かう。
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2015年。三か月ほど福島で仕事をし、無事帰還。この年はほぼお金を貯める事に集中した。そして一緒に東京でお笑いをやる予定だったネットの知り合いと音信不通になる。
2015年夏。母校でありトラウマ気味の高校でOBとしてイベントに参加。相方と共にネタを披露する。高校でお笑いをやるという過去の叶えられなかった願いが、数年振りに実現された。
そして、お笑い芸人→漫画家→バンドマン→小説家→ダンサーと廻った自身の将来の夢を再びお笑い芸人に絞り、ついに動き出す。こうしてみると表現する仕事やクリエイティブな事が好きだったのだな。俺。
↓
~東京芸人生活編~
2016年。金を貯め、ついに東京進出。初の一人暮らし。初の東京。初の芸人一人舞台と、何かと初物尽くしな一年だったが、未だ初体験を終えていない悲しい童貞。
2016年夏。東京でも彼女は出来ず、ついに据え置き型のオナホール【ぷにあなデラックス】を購入。ある意味で初めてを捧げる。このオナホールにぷに子と名付けた。
2016年秋。緩やかに挫折。吉祥寺のハーモニカ横丁で一人飲んだくれる毎日。生活はバイトかゲームか飲み。この間、何かと自分に言い訳をして殆どお笑いの活動はしなかった。しかし溜まっていくコントや企画のアイデア。未だ世には出ていない。
↓
2017年。一年遅れで東京にやってきた元相方のHと再びコンビ結成。しかし方向性の違いからウマが合わず、結局その年のキングオブコント予選を最後に解散。あまりにネタの打ち合わせが辛くて、予選のネタ見せ後、二人の表情は風俗ですっきりしてきた帰りのそれになっていた。
こうして東京での芸人生活はあっさりと幕を閉じた。結局この一年半の間に行ったお笑い活動はたったの3回であった。友達も作れず、ほぼ何も行動を起こさず、無意味で自堕落なだけの生活。得た物はアマゾンでポチッた商品の山。失った物は金と時間。ぷに子だけが俺の心の支えだった。
その後、金も尽きてきたタイミングで兄から仕事の誘いがあり、再び兵庫に戻ることになる。現在進行でこれが人生で最も愚かな選択だったと自覚している。
そして、この引っ越しの際に汚くなったぷに子は処分した。
さらばぷに子。君の事は一生忘れない。
↓
~兵庫バイト生活編~
2017年夏。バイトを辞め、芸人の道を諦め、地元を捨ててやってきた憧れの東京を捨てて再び兵庫へ。金を貯める為に気持ちを切り替え工場で勤務。3日でクビになる(体調不良による休み過ぎが原因)。いっぱい準備してやってきたのにソッコーで職を失い、借りていた寮を追い出され、大急ぎでアパートを借りる。生きていく為に昼夜のバイト生活を始める。貯金は無くなり、カードはリボ払い。諸々の費用で借金も50万程膨れ上がり、知り合いは身内以外ゼロ。絶望の始まり。
関西人には悪いが関西の嫌な部分を散々見せられ、関西嫌いになる。なんとか金を貯め、関東に戻れたらなと思っている。東京以外でもいいから。
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2018年。密かに片思いをしていた女性が、絶対に自分のモノにはならない、自分に見向きもしないという決定的な場面に遭遇してしまい、傷心。始まりもしなかった二度目の恋が散る。
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そして今現在。ブログを始める。どうしようもないこの気持ちをぶつける為に。勿論彼女はいないし、ずっと童貞だ。
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以上が俺の人生の今の所全てだ。かなり端折っているが、そこそこ人との出会いや別れ、嬉しかった事悲しかった事色々あった。しかしただ一つ言える事は、何をしてもどこへ行っても俺はやっぱり独りで、ずっと孤独だという事。正直、今までの人生で彼女や親友や、自身の理解者を見つける機会はいくらでもあったはずなのに。夢を実現するチャンスはいくらでもあったはずなのに。残念ながら今の所、それをモノには出来なかった。
自分の人生については色々言いたい事もある。しかし一つ反省する事があるとするならば、俺は人との繋がり、そして何より「人」そのものを大事にしてこなかった。だからずっと孤独なままなのだ。
今孤独な人、孤独な経験に悩まされた人、孤独になりたくない人、そんな人達に、これだけは伝えたい。それが自分自身で選んだ選択であれどうであれ、人を大事にしない者は必ず独りになる。それだけは、どうか覚えておいて欲しい。
この言葉がどこの誰に届くのかは分からないが、何か感じてくれるだけでも儲けものだ。いや、もしかしたら、そうすることで自分自身が変わればいいなという願望かもしれないが。
自分という長い時間の中で形成されたモノがブログを書いた所で変わるとは思えない。結局の所そういう弱さと向き合って生きていくしかない。逃げ続けた人生を送ったから分かる。逃げた先に楽園などない。
だが、俺はただ知って欲しかった。誰でもいい。こんな人間がいたという事を。記憶の片隅にでもいいから、誰かの中で生きていれば、何かが変わるかもしれない。
そんな夢を見ながら生きている26歳の男の、これは小さな独り言だ。
綴る、孤独な日常。
祝、初ブログの初記事。
果たして、これは祝われるべきなのか否か、自分にはよく分からない。ただ一つ言える事は、己の中に溜め込まれた陰鬱とした感情の膿を吐き出さなければ壊れてしまいそうなこの現状を、ただ一つ慰めてくれるのが綴る事だけだという事だ。
夢破れ、失恋し、未来の見えない現状。愚痴ブログ記者のテンプレートのような展開。人生において何もドラマチックな事の起きない男がブログを始めるには十分な理由。
もはや言う必要もないが最初に言っておこう。
今が幸せな者、幸せに向かってひたむきに走っていく者、現状に満足している者は、このブログを読むべきではない。きっと暗い気持ちになり、後悔する。
夢や希望、未来を失った者、或いは失いかけている者、今孤独な者、とにかく暗い話が好き、そんな者ならこのブログを読んで己の傷を慰めるのに使えるかも知れない。
どちらにせよ、まともな者の助けになる事など何一つ書けないだろうし、書く気も起きない。
タイトルにもある通り、これは孤独な男の日常やら独り言をただ綴るだけのモノだ。だから大した文章も書かないし、恐らくそんなに推敲もしない。
さぁ、どんな事を書こう。書きたい事があり過ぎて困っちゃう。
だが大体書く事など決まっている。怒り、悲しみ、苦しみ、絶望、不満、妄想、戯言。基本それらをぶちまける。誰が為でなく、己の為に。たまには普通っぽい事も書いたりして。
きっと誰の目にも止まらない。情報の波に埋もれ、俺という個は無色透明の文字になる。俺の言葉は他人のノイズに掻き消され、最後は何も残らない。
それでもいい。それでも、何故だが無性に書きたい。書きたい事があるから書く。ただそれだけの為に、己の血を文字に変えてこの淀みきった世界に発信しよう。
これは宣戦布告。誰からも愛されない男がどこまで世界に影響を及ぼすか、この記事がその開戦の狼煙だ。
とか言って3日で飽きたら笑える。